松下幸之助といえば今のパナソニックを創業し、"経営の神様"として今なお多くの人から尊敬されていることで有名ですね。この松下幸之助氏、丁稚奉公をしていた子供の頃、サントリーの創業者である鳥井信治郎氏とすでに交流があったそうです。
鳥井商店から二百メートル離れた自転車屋に、小学校を出たばかりの松下さんが奉公してた。まだほんの少年だから直した自転車を運ぶだけ、つまり納めに行く係だったのね。鳥井商店は、どうやら商売が繁盛しているらしく、よく自転車が壊れる。それを直して、夕方になると持っていったんだね。すると鳥井さんが頭を撫でて「がんばれよ」って言うんだそうだ。
≪青雲の志について~鳥井信治郎伝(山口瞳著)より≫
ということなので、この頃すでにその後の日本を代表する大企業を生み出した偉人が交流をしていたことになります。双方が出世していたうえで出会ったという話なら別段大した話ではありませんが、二人が出会った当時、松下幸之助氏はまだ子供だったってことですから、考えてみたらすごいめぐり合わせです。
そして、その後独立した松下幸之助氏は鳥井信治郎氏からある誘いを受けます。
そのころ大阪では、府知事とか、大阪府から選出された代議士とか、鐘紡・東洋紡などの紡績会社、あるいは住友のような大手の社長が威張っている。だから俺達も〝会〟をつくろうと鳥井さんが言い出した。そして、四つの個人企業が集まった。松下さんが喜んで入りますと言うと、じゃあ明日入会金を持ってこい。幾らですと言ったら、二万円だと言う……。 おそらく今の一億円位じゃないですか。びっくりしたけど持っていったら、毎月一回勉強会があって、ただ茶屋酒の呑み方を教わっただけ。(笑)
≪青雲の志について~鳥井信治郎伝(山口瞳著)より≫
入会金一億円の個人企業四社だけの会。しかも会の内容が"茶屋酒の呑み方を教わっただけ"という、恐ろしくシンプルな内容。ちなみに、茶屋酒というのは、『料亭や遊郭で飲む酒』のことなんだそうです。要するに遊びを教えてもらったということですね。
今以上に人と人との付き合いが重要だった当時、酒を交えた交流というのは業績を大きく左右する大事なポイントだったに違いありません。が、その作法を教えてもらうのに一億円っていうのはさすがにスケールが違います。儲かっていたからできたことでしょうし、そのことを恨み節で語るのではなく面白エピソードとして語るあたりがやはり懐の深さを感じさせます。
もっとも、個人企業四社とはいっても飛ぶ鳥を落とす勢いだった人たちの集まりでしょうから、その気になれば学ぶこともたくさんあったと推測できます。遊び方を教わっただけではない数々のメリットがあったのではないでしょうか。
取りも取ったり、払いも払ったり。
当時も今もそうそう聞く事のない豪放な話ですね。