プロミスを創業した神内良一氏は日本人の長者番付の上位に入る大富豪のひとりです。
しかし、消費者金融という業界のイメージもあるためか、一般的にはそこまで有名ではありませんよね。
神内氏はどのような人物なのでしょうか?
ここでは、プロミス創業者神内良一氏の経歴や資産、社会貢献などについてまとめています。
神内良一氏プロミス創業のきっかけ
神内良一氏は香川県の出身で1926年の生まれです。
もともとは農家の生まれで、神内氏が10代のころ、日本は太平洋戦争の最中でした。
終戦後に農業の職に就きますが退職し、その後児童福祉関係の職員になり、そのときの経験をもとにプロミスの事業を始めています。
プロミスは結果的に大きな成功をおさめ、東証一部上場の大手企業になりました。
2017年の6月に神内氏が90歳で亡くなったときは、新聞などでも報道されました。
夢は農業だった
少し意外ではありますが、神内良一氏はもともとは農業に関心が高く、終戦直後には農業を勉強するために北海道に行っています。
しかしそのときは農業をする資金がなかったため、一度諦めて故郷に帰った経緯があります。
その後色々な体験をして消費者金融を立ち上げることになりますが、最初から金融業界に関心があったわけではないのです。
実際、神内氏はプロミスで成功した後に、その資金を活用して北海道で農場の経営をはじめています。
神内氏が個人的に一番情熱を持っていた目標は、自分の理想の農業を行うことだったのかもしれません。
プロミス創業のきっかけは児童福祉
神内氏がプロミスを創業する直接のきっかけとなったのは、若い頃に働いたことのある児童福祉施設での体験と言われています。
当時の福祉施設は金銭的な余裕が全くなかったため、児童福祉のためにはお金が必要だということを実感した神内氏は、消費者金融の会社を起業することを決意し、1962年にプロミスの前身となる会社を起こしました。
つまり、まずはそのとき需要のあった金融業で財産を作り上げて、その資金をもとに自分で福祉事業を行おうと考えたのです。
最初は関西金融という名前の会社でしたが、新しいシステムで融資を行い事業を軌道に乗せ、最終的には消費者金融業界全体を成長させるような成功を収めました。
当時は企業が個人に対してお金を貸すというのは一般的ではありませんでしたが、今までになかった新しいスタイルで融資を行っていったのです。
現在では当たり前になっている、限度額の範囲内なら自由に追加で借入れができるカードローンの仕組みは、神内氏がさきがけとなって採用したものだと言われています。
神内良一氏の資産はどれぐらい?
神内氏は自分で会社を起こして、それを業界最大手まで育てたわけですから、大成功をおさめた実業家ということになります。
個人的な資産はどれぐらいなのでしょうか?
2010年長者番付の17位
神内氏は日本人の長者番付の中で、長年50位以内の上位に入っています。
フォーブスが発表している長者番付ランキングで、神内氏が最も上位にランクインしたのは、おそらく2010年の第17位です。
ソフトバンクの孫正義氏や楽天の三木谷浩史氏などの有名人に混じってのランクインですので、日本人全体の中で有数の富豪だということが分かりますね。
2010年にランクインしたときの資産は、2,000億円を超える金額であったと言われています。
しかし、神内氏本人のお金に関する考え方としては、財産の規模や、それを増やそうということにはあまり関心がないようです。
雑誌のインタビューで「お金は積極的に稼ぐが、それを全て使い切ってから死ぬのが理想」ということを言っています。
その言葉の通り、プロミスの事業から離れた後は、海外の福祉事業への支援や自身の夢であった農業へ多額の投資をしています。
息子の相続税は日本歴代3位
もうひとつ、神内氏一家の富豪ぶりが分かる話として、神内良一氏の息子である神内英樹氏の遺産金額があります。
神内英樹氏は残念ながら病により47歳の若さで亡くなっていますが、その当時はプロミスの副社長務めていました。
プロミスの株を大量に個人所有していたため、英樹氏の家族が遺産として相続した資産は1,500億円を超えていたと言われています。
このときの相続税は実に500億円以上が納付され、これは日本の相続税額の歴代3位とのことです。
このケタ違いの相続税も、税金として国に納められ公的な用途に使われたわけですから、神内氏一家の立派な社会貢献と言えそうですね。
プロミス会長退任後の社会貢献
神内氏はプロミスの会長を2002年に退任したのちは、本格的に社会貢献活動を行っています。
プロミス創業の原点であった福祉事業をしたいという思いを、財団を作っての支援という形で実行しています。
さらに、プロミスの事業で成功して作った資産を投資して、北海道で農業に再チャレンジしています。
北海道で神内ファーム21を創業
神内氏はプロミスが東証一部に上場した翌年である1997年に、北海道に農業を行う神内ファーム21という会社を起こしました。
https://www.jinnaifarm21.co.jp/
若い頃に一度は離れた農業に70代になって再度取り組み始めたということです。
日本の牛肉は黒毛和牛が圧倒的に多いですが、神内ファーム21では赤毛和牛も主力商品として飼育しており、日本一はもちろん、世界一美味しい牛肉を目指しています。
もうひとつの人気商品である神内マンゴーは、北海道の土地で生産された珍しい例で、インターネット通販でも人気が高くすぐに売り切れになってしまうとのことです。
消費者金融でも今までにない新しいスタイルを作り上げた神内氏ですので、北海道の気候では難しいと言われるマンゴーやバナナの栽培を成功させて、それを人気商品としたのはさすがですよね。
神内氏が神内ファーム21に投資した資産は、なんと130億円にもなるそうです。
さらに、神内氏は北海道の農業事業の一環として、農業をしたいと考えている一般の人たちを支援する制度も運営しています。
自身が若いときに農業をしたくてもできなかった経験があることから、同じような境遇の人を支援したいという思いがあったのでしょう。
国際的な社会貢献
神内氏は消費者金融を創業する前に児童福祉施設で働いていましたが、プロミスの事業が成功した後は、国際的な福祉団体を支援する社会貢献を積極的に行っています。
そもそも消費者金融創業のきっかけが福祉を行うためにはお金が必要だからというのが理由だったのですが、神内氏がプロミスの会長を退任することには、日本の児童福祉の現場は以前ほど困窮していなかったからです。
そこで、日本国際協力財団という支援団体を作り、海外の福祉関係の大規模な支援を行っています。
主なものとしては、南アメリカのブラジルやペルーに住む日系人を支援するために、病院の設備など医療機関に多額の支援を行っています。
Jリーグ「カマタマーレ讃岐」のトップスポンサーに
神内氏は医療や福祉関係だけでなく、地域のスポーツにもスポンサーとして関わっています。
香川県の出身であることもあり、故郷のサッカークラブ「カマタマーレ讃岐」のトップスポンサーとして資金面の援助をしています。
カマタマーレ讃岐は、香川県を拠点として2014年からJリーグに加盟したJ2所属のサッカークラブです。
神内氏が特別サッカー好きであったというエピソードは見当たりませんが、出身地のスポーツが活発になればという思いがあってのことでしょう。
地元のクラブがJリーグで活躍して、出身地の香川が元気になるのは素晴らしいことだと考え、故郷への恩返しという気持ちで支援したようです。
まとめ:プロミスの創業者は夢を実現した実業家だった!
神内良一氏が退任した後のプロミスでは、甥の神内博喜氏が会長になり、その後の貸金業法の改正などで三井住友銀行と関係が深まり、現在はSMBCコンシューマーファイナンス(プロミス)と社名を改めています。
消費者金融というとダークなイメージを持つ人も中にはいますが、プロミスの創業者について調べてみると、夢を持って事業を起こして成功した実業家だということが分かります。
プロミスは大手で知名度も高くSMBCグループということでもともと安心感がある消費者金融ですが、創業者がどんな人物なのかを知れば、さらに身近に感じられるようになりますね。
プロミス雑学